\ボンジュール、ヴァンですよ/
最近あたたかくなってきましたね。と思いきや夜は寒くてなんだかなーという感じです。寒いのはわかっているのに、あえて薄着で過ごして夏らしき気分を味わいたい……
どうでもいいですね。
さあ、相談に参りましょう。
埼玉に遠洋漁業に行った人が帰って来ません。彼と連絡を取るにはどうしたらいいんでしょうか。(S)
……難問登場です。
とりあえず、埼玉には海がないですよね。海なし県で漁業って……と思って調べてみると、埼玉にも漁業組合があるんですね。アユとか、川魚がいるので。聞くとなるほどという感じです。
楽しくなってついでに調べてみると、海なし県(正式には内陸県というそう)は全部で8つ。栃木、群馬、埼玉、山梨、長野、岐阜、滋賀、奈良。そしてなんと驚異的なことに、海がないのに漁港を持つ滋賀県。その漁港の数は富山県よりも多いとか。琵琶湖おそるべし……
以上、wiki先生に聞いた話でした。閑話休題。
まあしかし普通に考えて、埼玉に海がないことくらいSさんも知っているはず。そして川の漁なら遠洋漁業とはいわないでしょう。
ということはつまり。これはメタファー、つまり比喩的な表現であるということですね。そう考えるとこの言葉には深い意味が隠れているようです……
「遠洋漁業」という言葉から連想されるのは、漱石の弟子としても有名な作家・内田百閒の同題の作品です。『百鬼円随筆』などに収められているこの作品は普通に読むと文字通り随筆、つまりエッセイなのですが、内田百閒が書くと随筆すら小説のような寓話的世界観を帯びてくるのが特徴で、僕はなんとなく小説と同列で読んでしまいます。
さて、『遠洋漁業』という随筆。これは文庫本で3ページという非常に短い文章であるのですが、その筋は単純です。幼い頃、「私」の郷里に軍事大尉がやってきます。そして海洋冒険の話をしていく。それを聴いた翌日から「私」は友人と一緒になって冒険ごっこをはじめます。寒い時期なのに川までいってメダカを掬い、それを干して保存食をつくる。それをすぐに食べるのを我慢して(あくまで貯蔵食なので)、遠い海の向こうの地図を描いたりして遊んで過ごす。それで我慢ができなくなって、いよいよ食べるのですが、これが不味い。ちっともおいしくない。じゃりじゃりいわせながら食べているうちに「なんとなく悲痛な気持ちになり」友人と喧嘩して別れる。ここで話は終ります。
ただの幼い日の思いでという読み方もできますが、個人的にはこれを「理想」と「幻滅」の話として読んでしまいます。「理想」は「空想」でも「妄想」でも「夢想」でもあります。ロマンともいえます。なにか理想を抱いて、それを実現するために漕ぎ出す。最初はやっぱりモノマネで、けれどホンモノであるかのように自分に言い聞かせ、信じ込ませ、演じきる。それでもどこかで――この話では魚があまりにもおいしくなくて――その夢が破れてしまう。
そんなとっても「悲痛」なお話としても読めます。
Sさんのいう遠洋漁業にいった「彼」。彼というからには男性なのでしょう。男はいつまでも子供といわれたりしますが、たぶんその通り。いくつになってもなにかに焦がれて理想を抱き「遠洋漁業」に出てしまう生き物なのです。ニセモノの「遠洋漁業」をホンモノにできるのはごくごく一握りの人だけで、あとはどこかで現実に引き戻されてしまいます。そんなとき連絡を取ろうと気にかけているSさんのような人がいることが、彼にとってはとても大きな支えとなることでしょう。
……さて、これもまた妄想の赴くままに書いてきましたが、我に返りました。幻滅です。
読み返すとまったく答えになってないですね、はい。
でもこの答えをさらにメタファーとして読んだとき、Sさんのなかで答えはみつかるはず!?
答えはだいたい自分のなかにあるものです。(といってしまうとこのコーナーの意義が怪しくなりますが……)
今日はここまで!
引き続きご相談募集中です!! こんな感じで答えていきますので、ぜひお気軽にお送りくださいませー!!